2013年02月01日号

暦の春


東京の正月は、方々の庭で夏みかんの温かい黄色がたわわに実った春めいた風景がうららかで、雪国で育った散歩人などは何ともうらやましい思いをしたものだった。この思いは子供の頃に、♪お正月には凧(たこ)あげて、コマを回して遊びましょう、はやく来い来いお正月……の唱歌を歌った時の疑問にどうも繋(つな)がっている。子供向けの本には、半ズボンで凧をあげていたり、羽子板を突いたり、コマを回している挿絵(さしえ)が載っていて、それを見る度に、正月なのになぜ雪がないのか…なぜ地面でコマを回せるのか…、凧だけは一応吹雪の合間に飛び出して、凍えながらでもあげたものだけど、とにかくそんな春めいた風景が不思議で仕方がなかったのを覚えている。


   むかしむかし、今から140年程前までは、今の時期はまだ年の暮れだったりした。今年の2月1日は旧暦の12月21日に当たっていて、昔の暦に置き換えれば2月10日がお正月(旧暦1月1日=旧正月)。「立春」を過ぎてから正月を迎えることになる。例えば、去年(平成24年)は1月23日が、一昨年は2月3日が旧暦1月1日に当たり、新暦と旧暦は年ごとに1~2ヵ月近くズレたりするのだけれども、何だか旧暦の方が「初春」だとか「新春」だとかの年賀の挨拶もピッタリ来る。


   日本で現在の太陽暦(グレゴリオ暦)に改暦されたのは明治6(1873)年からで、江戸時代からそれまで使用されていた月の満ち欠けと太陽の運行の両方をベースにした太陰太陽暦(最後は天保暦)は明治5年12月2日で終わり、翌日の3日をもって新年(明治6年1月1日)ということになった。11月に発表(布告)し、すぐ実施して、「12月3日はないことにして、明治6年元日…正月とする」とやったものだから、世間は大混乱したと本などにはある。だから、明治5年は12月3日から以降は歴史上に存在しない。この年から始まった太陽暦の新暦に対し、明治5年までの太陰太陽暦を旧暦と呼んでいる…。


   寒の時季が過ぎて、立春を迎える頃がお正月というのが旧暦の流れで、「正月」は「立春」という暦の感覚が強かったとか。そのまた昔は、立春がそのまま正月・新年だったという。1月20日「大寒」を過ぎた頃、何だか春の匂いも時折してくる冬晴れの日々…「冬うらら」が気持ちいい。このまま暦通りに春が来てくれれば、本当にありがたい…。2月3日は豆まきをして、2月4日は「立春」。お正月ですよう~春ですよう~。


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