2013年03月15日号

良心


「人に痛めつけられても夜眠れるが、人を痛めつけたら夜眠れない」ということわざが沖縄にはあると、元沖縄県知事の太田昌秀さんが言っていた。大国の利害の狭間で血肉の犠牲を強いられる苦難の歴史の中の重い談話なのだが、そのことわざを初めて知って、まともな人間であるなら、確かに良心の呵責(かしゃく)というものがあって、加害意識にさいなまれるのだろうと、今さらながらに考えた。


   ただ、おかしな条件付きだ。自分の行為が人をどれだけ苦しめているかを、当人がどの程度自覚するかにかかってくるから、始末が悪い。ボタン1つで、現実感がないままに、ゲームのように遠方の人々を大量殺戮できたり、人と直接向き合うことの少ない今の世の中は、きっと、自らの手を汚して良心の呵責に苦しむ、そんな自覚が薄くなるのではないか。世界の水準から見れば豊かで平和な日本は、どこかの誰かの犠牲の上に成り立っている…想像力を駆使すれば、ある意味加害者の立場にもいる。その自覚もない。


   散歩人の祖父はおだやかな面影の人ではあったが、向かいの家のかみさんは根性が悪い…「(心も顔も)般若のようだ」と、鬼女の般若(はんにゃ)の面に例えて悪口を言った、そのたった一言だけがなぜか、幼い頃の記憶に黒くにじんで残っている。思えば、人の悪口やら罵詈雑言やら悪い行いが、散歩人の人生には山となっているのだが、そうしたものは、そのつど黒いシミになって心の奥底に染みついている気がする。実は、それに気がつかないふりをして生きている…。


   不思議なことに、世の中の人間には「良心」というものが、人それぞれに備わっているようなのだ。理屈を付けて自分をごまかしはしても、心には刻み込まれる…。何気ない悪口が小さな子供の記憶に刻まれたのは、そういうものには毒が含まれているためなのかも知れない。


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