2013年05月24日号

春の一日


雪がとけ、森の下草が葉を伸ばして木々が若葉を広げる頃になると、前の年に散ってふっくらと敷かれたように積もった枯れ葉や枯れ草が乾いて、何とも懐かしい春の香りが林の中に満ちていた。


   小鳥のさえずりの中に、(おそらく山鳥かキジの類だろうと小さい頃から信じてきたのだが)ブルブルという何かの身震いのような音だの、バサバサと大きな鳥が飛び立つ音だのの恐ろしげな気配がまじる。枯れ葉の上を歩けばカサカサと足音が辺りに響いて、時折、自分の足音に驚いて立ち止まったりするのだった。歩みを止めた時の一瞬の静寂が、耳鳴りのように「シーン」と頭の中にしみ込んだ。鳥のさえずりなどはそのままのはずなのに、あたり一面が静まり返って、その感覚にドキドキしてしまう。誰もいない。たった1人…。少し怖くなって、手頃な枯れ枝を拾って振り回しながら、それでも、精一杯虚勢を張った小さな冒険者は、森の奥へとまた歩き出す…。


   大人になって見れば、ほんの少しだけ山に入ったところなのに、まだ小学校にも上がらない小さな子供には、山の深くまで入った気でいる、雄々しい挑戦だった。目の前を蛇が横切れば、立ちすくんでじっといなくなるのを待った。カナヘビ程度のトカゲでも、まだ手を出せない。本能的な警戒心が備わっている…というより、怖い感じのするものには手が出ないのだった。水がある所には寒天のような半透明の蛙の卵がゆらいでいて、早く生まれたオタマジャクシも泳いでいる。それを手ですくってみる。家の近くの小川にも、稲の苗を育てる苗代(なわしろ)にも、雨が降って道にできた水たまりにも、春になればいたる所にいたから、オタマジャクシは怖くない。雨が降って道にできた水たまりは、天気になれば乾いてしまって、そこに泳いでいたオタマジャクシは干からびて死んでしまう。白い腹をさらして泥の上に大量に死んでいる光景は、幼な心に悲しくて、小さくなった水たまりに泳いでいるのをすくって近くの小川に逃がしたりしていた。


   やがて、木立ちが切れて視界が開けた。日向(ひなた)では、枯れ草が日の光に照らされて、その下から新しい草の葉が出ている。乾いた枯れ草のほかほかした匂いが好きだった。それに寝転んだりしてみる…。春の日差しが降りそそぐ。風が頬をなぜる。青い空に白い雲がゆっくりと流れて、雲の影が山肌をつたって行く。何だか大きな冒険をやり遂げた、そんな得意な気持ちになっている…はるか遠い日の、そんな春の一日。


消臭 飲むだけ

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