2013年06月28日号

郵便局の“方”から来ました…


秋田県北部の港町で高校に通うのに冬はアパート暮らしした。仕送りはすぐ底をついて、金を無心する電話の向こうに、母親の困り果てた顔が浮かんだ。何とかしなければならなかった。


   古びた仕舞た屋(しもたや)のガラス戸を恐る恐るあけて入った。事務所風に仕切った玄関脇の土間には、事務机が1つ置かれていた。奥から出てきた初老の男が、こちらを見て一瞬眉をひそめた。求人広告を見て来たと告げると、傍(かたわ)らの椅子を引き寄せてすわるように促(うなが)した。年齢を聞かれて高校2年だと答えると、また眉をひそめた。「本当は駄目だども…」と呟(つぶや)きながら、机の上の小さな厚紙の箱から、10cm四方ほどのブリキの板を取り出した。ぐるりを木目の額縁風に縁取って、住所と家族の名前を書き込む欄が印刷されている。玄関先に取り付ける表札だった。値段は忘れたが、500円か700円だった気がする。売れればいくらかの歩合をくれると言う。「郵便局の方から来ました」「郵便配達を間違いなくするためご協力ください」と、そう言えばいいと教えられて、数個の箱を持たせられた。


   まだ雪が降る前の寒風が吹きつける裏通りの家々を歩き回った記憶だけが残っている。「郵便局から来ました」とは言えない。“方”から来ました…とぼやかして言わないと捕まってしまう…。歩きながら考えれば考えるほど、罪悪感がつのる。相手を正面から見れずに、伏し目がちになってしまう。舌がもつれる。うまく言えなくて、結局1枚も売れなかった。1銭にもならずに1日でやめた。


   その頃、やはり「消防署の方から来ました」と言う仕事もあった。消火器のセールスだった…。


プラセンタ

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