2013年08月23日号

夏の記憶


盆を過ぎる頃になると、畑のキュウリはずいぶん太く大きくなった。表面の棘はなくなり、地面に近い下の方になっているのは子供の腕ほどに巨大化して、色も黄がかってくる。そんなのは種取り用に残して、まだ青いのをもいで井戸水で冷やしたのをタテに切り割り、指で種をこそぎ取って生味噌をたっぷりぬる。端からかぶりついてシャクシャク食べるのが、何とも言えずうまいのだった。


   キュウリをできるだけ薄く輪切りにして、シソの葉をきざみ、水で生味噌を溶いただけの「ひや汁」を夏の昼には作る。なぜかいつも大きなすり鉢に作ってあった。キュウリとシソの葉と味噌を持って、山仕事に持って行けば湧き水でひや汁がすぐできる。飯に湧き水をかけて湯漬け風に食べるのもまたおつな味がした。昔は電子レンジなどという便利な装置がなかったから、冷や飯になって残れば、湯にひたして穴のあいた玉じゃくしですくって食べる湯漬けがいつもの食べ方だった。しゃぶしゃぶとかき込む。タクアンかナスの1本漬けがあれば最高だった。


   終戦後、十数年が経っていた。夏草刈りの山の上、湧き水の冷や汁と、その清水をかけた冷や飯で昼にする。漬け物と味噌をつけたキュウリはいつものおかずで、焼いた塩引き鮭でもあればごちそうだった。昼飯を済ませた両親が、麦わら帽子を顔にのせて木陰で昼寝している。物言わぬ父が、捕虜となった人間を銃剣で刺し殺した、ぬぐっても消えない戦地の感触が手に残って苦しんでいたのを、バッタやトンボを追いかけるのに余念がない子供らは知るはずもなかった。村の大人たちも戦争のことには無口だったように思う。触れれば痛む生々しい傷を、ひとりひとりが胸の奥に潜(ひそ)めていたようだった。戦争の記憶は加害意識が強いほど内へ内へとしまい込まれたのかも知れない。父は母に少しだけそれを見せたらしいのだが、子供たちにその本当の無残さは伝わっていない。


   麦わら帽子の下から、父の寝言とも呻(うめ)きとも知れぬ声が漏れた。夏の終わりの空は、まだ10年と少ししか経っていないのに、戦争のことなどまるで忘れたかのように晴れ上がっている。記憶を吹き飛ばすように、秋の風がザッと吹きわたった…。


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