2013年10月04日号

“ジコチュウ心”


大人になっても、ややしばらくはまだまだ地球は自分を中心に回っていた。世の中にはいろいろな人がいて、ひとりひとりが自分の心と世界を持っていることや、自分より優れた人、えらい人もいっぱいいることや、自分だけに都合よく世間は進まないなどということは、頭の中ではわかったつもりになっていても、どこかでまだ地球は自分を中心に回っている。若い時どころか、還暦を目前にする年になっても、時おり自分の中に「オレ様」の悲しい“ジコチュウ”を発見しては慌(あわ)てふためくのである。

ま、人というものはそんなもんだよ、などと悟ったふりをするのは癪(しゃく)に障(さわ)るけれど、人や世の中が自分のためにあるわけではないことだけは思いっ切り確かで、「仕方ないな」などとつぶやきつつ、騒ぎあがく“ジコチュウ心”には重石をのせて生きてゆく方が、自分にもまわりにも平和なのだと思ったりする。だいたい「オレ様」には思い込みの勘違いが多いし…。だから、よく考えてみれば身勝手にしか過ぎない「オレ様」を出す前に、「人さま」をわかろうとこちらから舟を出す…ちょくちょくひっくり返ったりするけれども…。

自分を中心に地球が回る最たるものが、もしかしたら恋愛で、散歩人にもそんな時があった…。昔、飲み屋さんで隣り合わせた青年がのろけ話をして、「彼女は自分がついていないとダメなんだ」などと臆面もなく言ったものだから、思わず吹き出してしまったことがある。「俺がついていないと…」と思うのは若い時に良くあったが、今にして思えば独りよがりでしかなくて、多分、相手にとっては「余計なお世話」だった。女性だろうが男性だろうが、人には人の自立した人生がしっかりあることが見えなくて、自分抜きの相手の人生が考えられなくなる。それも“恋は盲目”のうちなのかも知れないけど…。家内がカラオケで島倉千代子の「人生いろいろ」を歌って、横目でにやりと笑ったのが、20年以上経つのに忘れられない。男もいろいろ女だってい~ろいろ咲き乱れるの~…その目と口元は「私には私の人間として自立した人生と思いがあるのよ、あんたの付属品じゃないのよ~」と確かに言っていた。

ふと、石川啄木の歌が心に浮かんだ。「友がみな われよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」(「一握の砂」より)。朝晩が急に冷え込んで来て…秋が深まって行く。


斉藤和義 CD

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