2013年12月06日号

冬来たりなば・・・


 冬の晴れた日を「冬晴れ」とも「冬うらら」などとも言うと、俳句の季語を集めた歳時記には載っている。そんな日に、どこからともなくあわ雪の1片(ひとひら)、2片(ふたひら)が風に舞うのを「風花(かざばな)」と言うのだそうだ。遠い山に降る雪が風に乗ってくるのだという。ああ、美しい言葉だなあ、と思う。自然の過酷さ、生活の厳しさが直(じか)に身に及ぶ時代には、身の回りの風物がこの上もなく大切に思われたのではないか。そんな頃に生まれた言葉なのかも知れない。雪が本格的に降り出す頃、動物も人も「冬籠(ごも)り」に入る…。


 かやぶき屋根の軒下に、縄で編んで吊るした大根の葉(「でごんぱ」と言った)がずらりと並んでいる。乾燥した冬の冷気で干してから、茶色になったのを水に戻しては、冬の間中、味噌汁の実になった。大根は漬物にする。鉈(なた)で豪快に乱切り状に削ったのを菊の花びらを薬味に入れて、米麹(こうじ)と塩で漬ける「なた漬け(けずりがっこ)」は、暖かいと酸っぱ味が出てしまい、寒が来て冷えるといい味になるのだった。冬中、茶うけや濁酒(どぶろく)のつまみになって、来客があれば決まってなた漬けが出た。


 冬のおやつには「干し餅」というのがあった。年も押し詰まるころ、餅搗(つ)きが始まる。搗いた餅を太い棒で延(の)ばし、幅数cmの短冊に切って行く、それを干し柿のように藁(わら)で編んで、水に浸(つ)けてから、新雪の上に並べ、凍らせてから軒下に吊るして乾燥する。これが干し餅で、手で砕けるくらいにもろくなって、せんべいか何かのようにかじれるのだった。餅にはほんのり甘みを付けられたりシソが練り込まれたりしていた。うす赤や薄緑に色づけもされて、華やいだ感じがあった。


 冬籠りとはいえ、大人たちは何かしらの仕事に追われた。男たちは炭焼き小屋に詰めた。冬の山で木を切って炭に焼く。飼い馬をひいて、雪で丸太が運びやすくなる冬山の、杉の木の切り出しに出る者もあった。女たちは藁で米の俵や茅(かや=ススキ)で炭俵を編んだ。カッタンコットンと簡便な手機(てばた)の装置である。その合間合間に、それぞれの村と家の年中行事は、大切に几帳面に行われた。過酷な自然と厳しい生活を生き抜く基盤でも、よりどころでもあった。そんな冬の生活が、昭和30年代までの秋田の田舎では続いていた…。


 12月7日「大雪」(たいせつ)は、季節の移り変わりを区分する二十四節気の、立春から数えて第21の節気で「雪が激しく降り始めるころ」。12月22日「冬至(とうじ)」、1月5日「小寒」、1月20日「大寒」…もう3つの節気を巡れば、春が来る。


加藤ミリヤ CD

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