2014年03月21日号

希望の光


 今年は3月18日が春の彼岸入り。21日が彼岸の中日で「春分の日」。24日彼岸明け…いつの間にか季節は巡っている。そこここに確かに春が来ている。きっと、雪の下には赤だの緑だのいろいろな草の芽が頭をもたげている。近所の人は外に出て、氷を割ったり、とけ出した雪の始末に取りかかっている。春色の街は少しばかりにぎやかで、心を浮き立たせてくれる。あったかくなったなあ、うれしいなあ…と、うららかな空を見上げて、今年もまた同じような独り言を言っている。


 この空も空気も、野も山も川も海も、降る雪も雨も、木々の命も、草も花も、熊も鹿も狸も狐も虫たちも、そして人も、何一つとしてこの世の誰のものということはない。たまさか欲深い人間が、自分勝手にその時々の便宜上の所有権を主張しているだけにすぎないのに、かわいそうにすっかりのぼせ上って、まるで世界は「わがもの」であるかのように、人間が自由にできるものだと勘違いしている人々がいる。ふと、そんなことを思った。


 ちょっとだけ想像してみる…。あの沢で水を飲み、あの野山で山菜を取って、あの川で魚をとり、あの田んぼで米を作って、あの畑で野菜を作り、あの丘で果物を作り、あの野原で家畜を育て、あの湖から町へ水道を引き、あの山の木で建物を作り、あの海で魚や貝を採って生きて行けるならば、それだけでなんという幸せだろうと…。それが、たった1人であっても、人と生まれ生きて行く誰にも邪魔をされない当たり前の権利のはずなのだ。


 3年前、福島の原発事故は、見渡す限りの世界を一瞬にして猛毒の世界に変えてしまった。邪悪な魔法をかけたとしか言いようのないこの事故は、野山を少なくとも人間が生き暮らして行けない世界に変え、また、多くの命に影響を及ぼすこととなった。多くの人々が土地を追われ、未来の健康被害に恐れおののく。今年もおそらく、見た目だけは豊かな自然におおわれるその世界に、人は住めない。人間だけではなく、生きとし生きる命すべての生きる原点(生きる権利)を奪うことが許されていいはずもない…。金輪際、自然に脅威をまき散らさない制御が人間の手で明確に実現されない以上、生命と生存の権利を奪いかねない、原発という身勝手な道具を、安易に使っていいはずはない…そう思う。


 そこもここもあっちもこっちも、生まれたばかりの新しい生命(いのち)。もうすぐ雪がとけてあれもできる、これも遊べる…大人にも子供にも、持てる者にも貧しい人にも、春の日の向こうには希望の光が輝いている。その希望を奪い去る権利は誰にもない。遠くにかすむ山々を見渡しながら、とりとめもなくこんなことを考えていた。


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