2014年06月06日号

生命の賛歌に


 野幌森林公園辺りの森で、エゾハルゼミが鳴き出したと、5月31日土曜日の朝に出勤したスタッフが教えてくれた。前日30日の札幌は、1967年以来47年ぶりに、5月中に最高気温が30度を超える真夏日になったとニュースで伝えていたから、それでセミも鳴き出したんだろうという話になった(開拓の村では27日から鳴き出したと言う…)。


 街路樹のナナカマドが白い花をつけている。樹が白く見えるほど枝いっぱいに可憐な白い花が咲いているのはエゴノキ。家々の庭では藤の花房も下がっている。散歩人は山奥で育ったから、藤の花は山でこそ愛でる花だった。緑の中の青紫の花房は清らかで、子供心にどこか控えめな華やぎを感じさせたものだったが、大人になるにつれて、その奥床しいたたずまいの中に、妖艶な息づかいも感じるようになって、ちょっとドキドキしてしまった経験がある。今、この大地に生を受けたあらゆる生命の賛歌が地上に満ちる…そんな季節を迎えている。


 福島の原発事故は、日本の国土の何パーセントかを、少なくとも数十年単位で削り取ってしまったのかも知れない。住む地を追われ、我が大地の恵みを受けることができなくなった人々の苦しみと無念さは、想像を絶するものなのだと思う。地震や津波は、まだ大地という希望を残してくれるのかも知れない。しかし、人間の欲望が作り出した原発の害毒は、一夜にしてその大地に生存する“権利”すらも奪い取る…。


 人間という欲深い生き物が、その欲望を際限もなく追い求める時、幸福とか平和という概念とは正反対の、悲惨な軋轢(あつれき)が生まれる。その欲望の犠牲になってしまう人々が出るためだ。戦争・原発に共通するのは、違う方法があるはずなのに、自らの欲望のためだけにあえて他者の犠牲を強いて平然とする人間もまたいるということなのだろう。原発の被害を受けるのは中央でなく地方だ。戦争で人を傷付け殺し殺されるのは、権力の上にある人間ではなくわれわれ民草だ。だまされまいと思う。


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