2014年07月04日号

夏の空


 夏の空が広がっている。はるかに入道雲が立ち上がってぐるりを取り巻いているのは、いつもの年の夏空の風景だ。「あの入道雲の下はどうなっているんだろう」と小さい頃から不思議だった。「それは雨が降っているのさ」と誰かが言った。「そんなことはない。じゃあ周りはみんな雨が降っていることになる」。確かに天気予報でどこも晴れなのに、入道雲は今日も立ち上がっている。「夕立だよ」「でも、朝から入道雲が出てるよ」…還暦近い初老の男も含めて、いい大人たちがこんな会話を交わしている。


 種子を大切に包んだポプラの綿毛が飛んでいる。土地の人たちが大切に見守ってきたノハナショウブの紫の花が、今年も野一面に咲き始めた。道端には薄桃の昼顔の花もほつほつと開き始めている。もうすぐツユクサも花をつけるだろう。いつもの夏の日が、なぜか幼い頃の思い出をともなって、白くまばゆく広がっている…。


 ギリギリしながら新聞とテレビのニュースを見る毎日が続いている。この国は、あれほど人々を殺し、また殺されたのに、なぜまた人を殺し殺される野蛮な道に戻ろうとするのか。他国を侵略し戦争に敗れた敗戦国として、争いを解決する手段として二度と武力を持たず用いないという「平和憲法」は、ある意味世界から負わされた十字架でもあるような気がしていた。敗戦によって自らの行いを悔い、その反省を礎(いしずえ)に、この地球の人ひとりひとりの命を尊重する未来を築く。それは、戦争を可能にするための論議であってはならず、武力を使ってはならないという前提を固く守った上での、他国との論議や交渉であるべきはずなのだ。「非戦」の理想というその十字架の重みは、しかし、世界の先頭に立つ重大な使命の重みでもあり、課せられた使命の誇りの重みでもある。


 日本の夏の空は、原爆が落とされ、敗戦が決した1945年夏の、国としての記憶とも重なる。例え“非現実”と揶揄(やゆ)されようとも、世界に「非戦・平和」の実現を呼びかけ続けなければならない…そういう使命を日本国民は課せられている。


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