2014年07月18日号

大地に根差す


 にぎやかな雀たちのさえずりの中に、笑い声を混じえて大人たちがあいさつし合う声が響いている。明るくなる頃に朝仕事に出た大人たちが、刈り取った青草を身がすっぽり隠れるほどに背負って戻ってきたのだ。それを牛馬に与えてから朝飯をすまし、大人たちはまた野良仕事に出る。年寄りは家事やら畑仕事をしながら、幼子たちを見守った。今から50年前までの、秋田の山奥の小さな部落の一日はこんな情景で始まった。


 山間(やまあい)の小さな田畑を耕して、炭焼きや林業を主にする山仕事をしながら、わかっているだけでも数百年の歳月をひっそりと永々と生き続けてきた集落だった。戦後しばらくして、大人たちは農作業のかたわら、現金収入になる土方などの手間賃取りや出稼ぎに出るようになる。子供の学費を稼ぐのに、母親は農閑期になると、裁縫ならできると町の縫製所に雇われたりした。部落中が貧しかった。しかし、耕す土地があって、ギリギリ生きていく土台があったからなのか、大人たちには地に根を生やしたような威厳すら感じられた。みんな貧しかったが、「なに、生きてはいける」という図太さがあった。少なくとも、子供たちにはそう見せた…。


 昭和30~40年代にかけての高度成長。機械化が進み、人手がいらなくなった。金がモノをいう。小さな土地で作物を作って生きていける世の中ではなくなっていく。田畑を捨てて、都会に向かう人が増えた。こうして、“経済成長”の名のもとに地方が切り捨てられる素地が出来てゆく。そして今、数百年続いた部落はたった数十年で、後継ぎが途絶えてしまう「限界集落」という運命に直面している。


 一方で、土地土地から離れた人々は土に生やした根っ子を切られて、ただ漂う世の中になってしまった。それを単なる労働力として使い捨てる野蛮な仕組みも復活してきた。人が切り捨てられる時代…。人間の尊厳が再び問われていると思う。大地に根差す図太さ、ということを考えている…。


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