2014年10月03日号

謙虚に…


大新聞と違って、「まんまる新聞」は催しなどを知らせることに特化した小さな生活情報紙だ。だから、ニュースはニュースなのだけれど、事件や政治の動向を伝える世間一般で言う“報道”はしない。コンピューターの時代になって、活字を使った本格的な紙面が、例えば1人でも簡単に作れるようになった。ある意味これは恐ろしい。少数の人間が、他の人を陥(おとしい)れるなどの特定の意図を持って記事を発信したら、場合によってはその人の人生や命まで奪ってしまうことになる。


 だからこそ、多くの人々に世の中の出来事を伝えるジャーナリストと称する人間には、広い知識はもとより、物事の本質を見極める見識の深さと、モラル(徳性)が求められるのだろう。その辺で散歩人はちょっと自信がない。大会社なら、多くのスタッフがさまざまにチェックし合えるが、零細では緻密な取材をする機動力もないし、チェック機能も心もとない。不十分な態勢で“報道”するわけにはいかないのだ。それが本紙が催し情報の告知を主体にしている、1つの理由になっている。


 朝日新聞の誤報、あるいは“歪曲記事”掲載で世の中大騒ぎだ。戦時中、朝鮮半島で慰安婦を軍令で強制的に“狩り出した”という、吉田清治という人の、後日虚偽と判明する証言を朝日新聞が掲載(1982年)し、その後、多くの新聞、テレビ局も取り上げて国際問題にも影響を与えた。今回の騒動はこれに、東電福島原発事故のいわゆる「吉田調書」を歪曲して報道した問題が絡(から)む。どちらも“吉田…”で紛らわしいが、その取材、記事制作・掲載の姿勢などが糾弾(きゅうだん)されている。


 この騒動は、ジャーナリストの池上彰さんが朝日新聞に書いているコラムに「慰安婦報道検証…訂正、遅きに失したのでは」という原稿を送ったら、その掲載を断られたことからさらに拡大したのだが、同紙が後日謝罪の上掲載したこのコラムは「新聞記者は、事実の前に謙虚になるべきです。過ちは潔く認め、謝罪する。これは国と国との関係であっても、新聞記者のモラルとしても、同じことではないでしょうか」と結ばれていた。“国と国との関係”と持ち出したのは何とも池上さんらしいのだが、本当にそうだと思う。その一方で、雑誌・新聞・テレビの、問題検証というよりは中傷とも言えそうな感情的で粗雑な糾弾合戦には、情けなさどころか背筋が寒くなる思いすらする。報道機関がこれでは、政治が“謙虚に”“潔く”なれないのも道理なのかも知れない…。


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