2014年11月14日号

人の道


 むかし、女のほいと(秋田の在所で乞食のこと)が来た時に、ご先祖が薄情に追い払った。実はこのほいとは仏様の化身で、その因果で子孫が金に困ることになった。……母親が、何で家の“かまど”(家の生計・財産のこと)が代々苦しいのか、に悩んで町の“神様”(イタコなど霊を降ろしたり、悩み相談に乗ったりする霊能者をカミサマと呼んでいる)に相談したら、そういう風に言われて、だからお前たち息子らの生活がなかなか楽にならないのも、こういうことがあったからだと、かわいそうにご先祖様はすっかり悪者にされてしまった。(中略)母親は、頑張っても楽にならない訳(わけ)を何かに求めたかったのだろうが、さすがに“神様”は偉いもので、それはあなた方のせいではないよ、たまたまご先祖にこういうことがあったためだと、遠い先祖のせいにして気を楽にさせ、だからこれからも人を見くびることなくどんな人でも大切にして、子供たちの代も一生懸命に精を出して働けば、きっと良くなる…と、生きる指針と将来への希望まで与えてしまった。…見事である(平成21年12月4日号散歩道)。


 「遠野物語」の話を紹介するのに、あれやこれやと考えていたら、以前散歩道で書いた話を思い出した。母親に、ため息混じりでこの逸話を聞かせられてきたものだから、荒唐無稽な話でも心のどこかで少しは信じている。どこに仏様の化身が紛れ込んでいるか、油断できないのである…。少なくとも町の“神様”にのせられた母親のボヤキは、人を見くびったり、不人情なことをしてはならないという、生きていく上での大切な指針を、知らず知らずのうちに我が子に教えていた。


 世の中そんなに単純じゃないことは百も承知で、正義と悪がはっきりしている時代劇が好きだった。テレビなどない時代には講談・浪曲、落語や芝居なんかが、物語の中に人の生きる道を描いた。町の“神様”もそうだったのだろうか。


 道理に目くらましして人を言いくるめるのに腐心する政治家たち、人の幸せを犠牲にしても金の欲を突っ張らせる経済界、口八丁で年寄りを平気でだますオレオレ詐欺師たち、どれも必死に生きる庶民を食い物にしてはびこっている卑劣さだ。理屈の上にまた理屈をこねるような今の世の中に、何だかうんざりしている。訳知り顔の理屈にだまされないためにも、ただシンプルに、「人の道」を考えることから始めようと思う。


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