2014年11月28日号

高倉健さん


 俳優の高倉健さんが11月10日に亡くなった。83歳だったという。男性も女性も、年取った人も若い人も、俳優というよりは、高倉健という人間そのものを尊敬して、その死を悼(いた)んでいるような気がする。もしかしたら兄のような身近な存在として居続けてきた人なのかも知れない。
 高校時代、夜になると下宿先から近くの映画館へ隠れて通った。当時の映画館では3本立ての上映が多く、最後の1本が始まる頃には、窓口が閉まるから、そこをこっそり入るのだった。今思えば、申し訳なくて恥ずかしくて身が縮む思いなのだが、映画館の人も見て見ぬふりをしてくれていたのかも知れない。昭和40年代のちょうどその頃、「網走番外地」のシリーズをはじめとしたヤクザ映画が全盛だった。


 年配の人はヤクザ映画の“健さん”の生き方に、大なり小なり影響を受けたのではないか。映画を観た後にみんな“健さん”になり切って外に出てくるという話は、嘘ではなくて散歩人にもそんな覚えがある。「不器用ですから…」を地で行くようなスクリーンの中の健さんは、役柄がヤクザ路線から離れた後でも、朴訥(ぼくとつ)として寡黙(かもく)で、劣等感も強くて、どうしようもない運命に翻弄されながらも筋を通して真正面にひたむきに生きて行く…。気のきいた能力もない自分のぶざまさに嫌気がさして、そんな時に高倉健の映画に自分の生き方を重ねた。そして、生き方の1つの形を教えてもらった…。


 若い人たちや、ヤクザ映画にはあまり興味を抱かなかった女の人たちは、「君よ憤怒の河を渉(わた)れ」(1976年)以降から今日までの、人間ドラマといえる名作の数々で、やはり健さんの人間性を慕ったのかも知れない。増毛をロケ地にした「駅 STATION」(1981年)の脚本を手がけた倉本聰さんは「自分より年下でも、相手が板前さんでもタクシー運転手でも駅員さんでも、きちんと立ち止まって礼をする人だった」と語ったという(読売新聞)。偉ぶることもなく、素朴で謙虚で人にやさしかった。心で触れ合える、決して裏切らない…そんな人となりが敬慕された。


 夕張を舞台にした「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)、函館の「居酒屋兆治」(1983年)、南富良野町幾寅の「鉄道員(ぽっぽや)」(1999年)など、北海道と本当に縁が深い。いつも雪の中で必死に生きているイメージがある。ところが、それがなぜだか、とても温かく感じるのだ。


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