2015年02月06日号

マッサンとリタさん


 ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝氏と妻リタさんの生涯をモデルにしたNHKの連続テレビ小説「マッサン」の人気が、舞台を北海道に移して一段と高まっている。20%を超える高視聴率もさることながら、余市のニッカウヰスキー蒸溜所では、例年なら閑散期となる冬場にも関わらず工場見学の予約が相次ぎ、売店では「去年の冬の260%増のお客さん」と電話の向こうの声もはずんでいて、夜の街では今まで焼酎だったのをちょっと奮発して“マッサンのウイスキー”を注文する客が急増、酒屋さんでも人気のボトルは引っ張りダコで品切れ状態とか…。


 本物のウイスキーづくりに信念を貫き通した竹鶴さんの誠実で豪放な人柄、政孝氏を「マッサン」と慕い、戦時中も“マッサンの妻である日本人”として余市で生活し続けたリタさんの凛(りん)とした人となり、その波乱万丈の生涯を優しく包んだ夫婦のこまやかな愛情…ドラマは実話に沿った物語だけに人々に深い共感を呼んでいるのかも知れない。


 「ニッカ」は、昭和9年に余市に創業した「大日本果汁」から社名を変更したものだが、当初は石狩川河畔の江別市が候補地だったという。大麦を発酵させた麦芽を乾燥させスコッチウイスキー独特の香り(ピート香)をつける燃料として重要なピート(泥炭=草炭)の産地で、気候・水質が良く、原料の大麦や石炭の供給にも恵まれていた。ところが石狩川に氾濫が多いことがわかって、計画は、同じような条件に恵まれ、しかもリンゴの産地でもある余市に変更されたのだが、それには実はもう一つ大きな理由があったといわれる。「リタは余市の町を見た瞬間、故郷スコットランドに似ているといって大変喜んだという。(中略)丘陵の形が、リタの故郷カーカンテロフの生家から見た山々の形とそっくりなのである」(川又一英著「ヒゲのウヰスキー誕生す~竹鶴政孝物語~」=新潮文庫=より)。川には鮭が上り、海にはニシンが押し寄せるのも同じだった…。


 昭和36年1月、病弱だったリタさんは64歳で亡くなる。そして、昭和54年8月、マッサンは85歳の生涯を閉じた。余市の蒸溜所を望む美園の丘に2人は眠っているという。


水素水

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