2015年04月10日号

野口雨情の童謡


 雪がとけて、水色の明るい空が広がる季節になると、水も温(ぬる)んで来て、子供たちは水遊びを始めた。石けんをこすって水に溶き、割れにくいように松ヤニも入れてシャボン玉を作るのだ。稲わらから稲の茎を抜き出して、それに付けてふくらます。なかなかうまくいかずに、顔の先ですぐにパチンと割れてしまう。それでも、稲わらの管の先に気持ちを集中して、慎重に、静かに静かに息を吹き込んでゆく。慣れてくると5センチ、10センチの大小のシャボン玉が生まれる。それがふわりと浮いて、スーッと飛んでゆくのが何とも気持ち良くてうれしくて、子供たちは一心不乱にシャボン玉を吹いては空を見上げた…。


 大正~昭和の初めにかけて、いくつもの童謡を世に送り出した野口雨情(1882・明治15年―1945・昭和20年)という詩人に「しゃぼん玉」(作曲・中山晋平)という歌がある。――♪しゃぼん玉飛んだ。屋根まで飛んだ。屋根まで飛んで、こわれて消えた。/しゃぼん玉消えた。飛ばずに消えた。うまれてすぐに、こわれて消えた。/風、風、吹くな。しゃぼん玉とばそ。(岩波文庫「日本童謡集」より)。


 野口雨情は北海道と縁が深い。故郷の現・北茨城市の雨情年表には、1907・明治40年「新聞記者として北海道へ渡り、札幌の『北鳴新報社』入社、石川啄木と知友となる」とある。啄木とともに小樽日報社に入り、さらに北海道新聞社(その当時は「北海タイムス」)、室蘭新聞社、胆振新報社、北海旭新聞社など、北海道で2年余り、妻を連れて新聞社6社を転々としたという。「予の現在有(も)つてゐる新聞編輯に関する多少の知識も、野口君より得た事が土台になつてゐる。」=「悲しき思出」(野口雨情君の北海道時代)=と啄木は書いている。明治40年、札幌で生まれたばかりの長女みどりが生後8日で亡くなる。その時の心情が後年になって詩に写し出されたのが、「しゃぼん玉」だともいわれている。


 「青い眼の人形」「あの町この町」「雨降りお月さん」「黄金虫」「十五夜お月さん」「証城寺の狸囃子」「七つの子」「兎のダンス」…すべて野口雨情が作詞した童謡だ。♪赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに つれられて 行っちゃった――と歌う「赤い靴」(作曲・本居長世)は、北海道時代の友人の身内にあった実話が元になっているという。童謡と少し趣が異なるが、♪俺は河原の枯れすすき…の「船頭小唄」や、「波浮(はぶ)の港」なども雨情の手になる。


 どこかにもの悲しさを感じさせる野口雨情の童謡には、世の中の苦しみ、悲しみをじっと見つめる詩人の姿が影絵となって浮かび上がる。きっと、それが100年以上も人々の心をとらえて来たのかも知れない。


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