2015年06月12日号

「美しい日本」はどこへ


 「あちこちの田に柳が生えてしまってな、もうどうしようもねな」。秋田の山間地の小さな米作農家を継いだ長兄の声は、電話の向こうでいつになく沈んでいた。現役で農業を続けていた79歳の村人が亡くなったという。10戸あった農家が、これで残るのは3戸。長兄が一番年下の66歳で、後は72歳と79歳。どこの家も農業の跡継ぎはいない。放置された田んぼが増え、そこに草木が深くなり出している。真っ先に生え出すのは水を好む柳で、柳の木が増えてくると、もう復元は難しいのだという。「800年続いた部落も終わりだなぁ」。電話から、嘆きともあきらめともつかない兄のため息が漏れてくる。なぜ、豊かになったはずの今、歴史が途絶えなければならないのか…。


 政治家や評論家やマスコミは、大都市圏の周辺や特産物を持つ恵まれた環境下にある一部の農家をPRして、人々の目を欺いている。政府の言う大規模化や野菜などへの転作は、どこでもできるわけではないし、米作りで生きて来た人が簡単に転身できるわけでもない。実は今、ぎりぎりのところで何とか農地を守り農村を崩壊から防いでいるのは、高齢者の小規模農家だという。田んぼを守りたいという思いから、採算を度外視して米作りを続けている高齢者が、中山間地を中心に大きな割合を占めるというのが実態だというのだ。


 地方がこんな状態で、しかも東日本大震災と原発事故の復興事業が進んでいないのに、なぜまた、金も人もモノも東京だけに集中させるオリンピックをやらなければならないのか、未だに理解できないでいる。地方の衰退に拍車をかけるだけなのに、その一方で「地方創生」を叫ぶポーズの空々しさ…。


 集団的自衛権のあれやこれやにしても、経済政策にしても、安倍晋三という人間の言葉が、人々に対する誠実さのない、口先だけのごまかしにしか聞こえない。これが政治家かと戸惑っている。山間に田畑が広がる「美しい日本」も、実は政権が見限っている、地方の小規模農家の高齢者によって何とか守られているという皮肉な構図がある。


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