2015年10月30日号

詩心・歌心


 「いくつかの詩をポケットに入れて…」――ある日の新聞に掲載された市民の投稿文にこんな表現があって、ああ、素敵な言い方だと思った。昔から、「人は生まれる時もひとり、死ぬ時もひとり」と言われるけれど、親子でも分かり合えるのはほんの一部分で、人は本来が孤独なものなのだから、いやおうもなくそう心にのみ込んで生きて行くしかないのが定めでもあるのだろうか。そんなところからも詩は生まれ、孤独な心の隙間を埋めて来たのかも知れない。


 秋田の山奥で育った子供の頃、馬に馬車をひかせた親父や、無精ひげに手拭いのほっかぶりをした爺様が、山仕事するにも野良に出た時にも、民謡や歌謡曲のひとふしを口ずさんだり、今思えば短歌や詩の一節を口にしたりという姿を当たり前のように見ていた気がする。牛や馬や人の歩く速度で動いて暮らしているから、1人で過ごす時間は今と比べものにならないくらい多くゆったりしている。山々や木々や野花や田の稲と話し、独り言や歌や詩を口ずさんで、自らの心を見つめたり、慰めたりしていた…そんな風景が懐かしくよみがえってくる。


 戦地から命からがら復員した父親は「ふるさとの山に向かひて 言うことなし ふるさとの山はありがたきかな」(石川啄木)を好んで口にした。母親は民謡や、ラジオから流れる歌をよく口ずさんでいた。詩に旋律を付ければ歌になる。その旋律もまた“詩”なんだろうと思う。人それぞれに誰にだって詩心・歌心がある。時に人生を重ね合わせて生きて行く…。


 美空ひばりの映画「東京キッド」の主題歌に「右のポッケにゃ夢がある 左のポッケにゃチューインガム」(作詞・藤浦洸、作曲・万城目正)という一節がある。きっと誰でも、両方のポケットに「詩」もまた入っているに違いない。


ICレコーダー サンヨー

トラックバックURL:

« 強度近視は近視が強いだけじゃない!③ | TOP | 味覚のお話 »

[PR]SEO対策済みテンプレート