2015年12月04日号

恋の馬鹿力


 小学生の頃から三つ編みのお下げ姿だった。内気で清楚だった面影が、今も心の奥底にしまいこまれている。…日ごとに冬の気配が濃くなるある日の暮れ方、紺色のオーバーを着て手提げかばんを下げて、中学校の校門横にあるバスの停留所に佇(たたず)むお下げ髪の少女が、その存在を思いっ切り意識しているくせに「さいなら」とだけ言ってわざと足早に通り過ぎようとする少年に、顔をほんのり赤く上気させながら、何事か大きな声で呼びかけた。素直な年齢ではないから立ち止まりもせずに背中に返事を残して立ち去りながらも、ただそれだけのことで少年は天にも昇る心地で、少し歩いてまわりに誰もいないことを確かめると、躍り上がって「ウォーイ」と叫ばずにはいられなかった……。夕暮れ時がインク瓶の底のような濃いブルーに染まる季節になると、なぜかこんな初恋の思い出が不意によみがえって、胸をキュンと締め付けたりする…。


 やはり中学生の頃、毎朝始業時間ぎりぎりで登校し、遅刻の常連だったのが、冬になって急に1時間も早く登校するようになった。息子の朝寝坊にほとほと手を焼いていた親などは、その変わり様に怪訝(けげん)な顔をしながらも、ともあれ喜んだ。まさか、バス時間の関係で早く登校することになった、あのお下げ髪の女の子に会いたい一心だったという、息子の早起きの理由を知る由もなかった。当時は石炭ストーブの時代で、当番に当たると石炭小屋から石炭を運ぶ。早い時間、登校している生徒は幾人もいなかったから、女の子の当番の時になると、仕方ないふりをよそおいながらも、その力仕事を手伝うこともできた。重い石炭バケツを2人して運ぶのである…。少年の、“恋の早朝登校”はしばらく続いたが、その後どうなったのか記憶にない。


 「恋は思案の外(ほか)」というけれど、恋というものは、人を思ってもみない力で突き動かしてしまうものなのだろう。高校時代、恋を契機に急に成績が上がったのもいる。同級生が自分より相当に成績優秀な女子生徒に恋をしてしまったのだ。彼女と近づきたいばかりに、彼の手にあったギターの本は参考書に変わり、人が変わったように猛烈に勉強し始めて友人たちを驚かせた。そのうち、図書館で彼女と2人で勉強している姿を見かけるようになって、結局、彼はそのまま一流大学に受かったのである。


 散歩人はそういう現象を「恋の馬鹿力」と名付けている。


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