2016年02月19日号

母の記憶


 生まれ育った家は、茅葺(かやぶ)き屋根の古い百姓家で、半分に牛馬を飼う馬屋が、半分に人が住むという作りの曲屋(まがりや)だった。馬屋の方には梁(はり)の上に横板を渡しただけの2階部分があって、稲わらや冬期間のまぐさ(牛馬の飼料=飼葉)にする干し草がうず高く積まれている。それに囲まれるようにして、冬になると明かり取りの障子窓のあたりに母親が座り込んで、簡単な織り機を相手に手元が暗くなるまで、米俵(こめだわら)や炭俵、冬囲いなどに使う葦簀(よしず)なんかを作っていた。電燈もないし火を使えないから暖房もない。綿入れなどを目一杯着込んで日がな一日、カッタンコットンと編んでいるのである。


 まだほんの小さな頃、雪遊びの手がかじかんで半べそをかきながら帰ってきて、母親を呼んでも返事がない時の、あの何とも言えない心細い感覚は、なぜか今になっても忘れない。呼んでもあたりはしーんと静まり返っている。じっと耳をすます。やがて上の方から「カッタンコットン」と音がするのに気がつく。少しだけほっとして、もう一度声を大きくして呼んでみる。「ほーい」と声がして、やがて梯子(はしご)の上から母親の顔がのぞいた。覚えていないが、母親の顔を見たとたん、声を上げて泣き出したのかも知れない。


 赤く凍(こご)えたしもやけの手を、ふところにさし入れて温めてくれた時の、気が遠くなるような幸福感と安堵感…。雪空が湿り気を帯びてどこかに春のにおいがし始める頃、あのカッタンコットンという音が心の奥にかすかに聞こえることがある。それは子守唄にも似た遠い日の母親のひそやかな息づかいとともに、記憶のどこからか時に甘くよみがえるのである。


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