2016年07月01日号

夏の詩


 本箱をひっくり返していたら、「若い人への詩―名詩のこころ―」(新藤千恵著、社会思想社刊・昭和47年第24刷)という古い文庫本が出て来た。記憶になかったが、若い頃、詩というものに少し興味を持った頃に買ったものらしい。今はもう少し黄ばんでしまったその文庫本のページを、ぱらぱらとめくってみた。あの頃の…懐かしい詩がそこに眠っていた。夏の季節の詩を読んでみる――。


 《不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心》=石川啄木=。不来方は啄木の故郷に近い城「盛岡城」のこと。さわやかにうっとりと…“空に吸われし”という言い方が、土手や野原に寝転んで空を見ていた時の感覚そのままで、気に入っていたのを思い出した。五七調で口ずさみやすくて、もの悲しい哀愁の感じが何とも言えず好きで覚えようとした詩が《都に雨の降るごとく わが心にも涙ふる 心の底ににじみいる この侘(わび)しさは何ならむ。(後略)》=P・ヴェルレーヌ「都に雨の降るごとく」/鈴木信太郎訳=。短くて覚えやすかった《私の耳は貝のから 海の響きをなつかしむ》=ジャン・コクトー/堀口大学訳=というのもある。


 そういえば、若い頃はいつも口笛を吹いていたっけなぁ、と懐かしかったのが《(前略)晴れし空仰(あお)げばいつも 口笛を吹きたくなりて 吹きてあそびき(後略)》=石川啄木「一握の砂」より=。女の人が口笛を吹くのは覚えていないが、昔、男は子供も大人もいつも口笛を吹いていた気がする。楽しい感じにはずんで聞こえてくる時の口笛もあったけど、寂しげに聞こえる時の方が多かったと思う。特に夕方、どこからともなく聞こえてくる口笛には、子供心にもの悲しささえ感じた記憶がある。寂しさをまぎらわす口笛がやっぱり多かった――。


 昔を思い出しながらページをめくっていて、唐突に「海を見に行きたい」という衝動にかられた。小さい頃、高い山の中腹を通る峠道を母に連れられて歩いていた時、「あの山に登れば海が見える…」と、ひたいに手をかざして山を仰ぎながら母が言ったのを思い出していた。何年か前の夏、腰が曲がってしまった母親が海に入りたいと言い出して、厚田の海に行ったことがある。スカートをまくり上げて素足を海に泳がせ、少し遊んでから「これで何も思い残すことねえじゃ」と何度も言った。十七で山の中の農家に嫁ぎ、海で遊んだことなどなかった母のささやかな夢。そんな人生だった。


 詩を口ずさんでいると、心の中にしまい込まれていたそんな思いもよみがえってくる…。


チュニック

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