2016年09月23日号

シンプルに生きたいのに…


 秋晴れのさわやかな風に吹かれて、江別あたりの石狩川の岸辺を歩いてみる。いつもの年なら予想だにしない台風と連日の大雨で、秋日和というのに川の流れだけは濁流となって水量も多い。大きな被害が出た十勝や日高、オホーツクと同様に、南富良野の空知川の氾濫(はんらん)をはじめ、空知・上川など石狩川上流での水害は、収穫目前の農作物にも壊滅的な被害を与えた。牙をむいて人々を襲った上流のその濁流が合流して、目の前の石狩の大河が奔流(ほんりゅう)となってごうごうと流れている。おだやかに晴れ上がった秋空と、甚大な被害に見舞われたはるか上流から流れ下る、感傷めいた同情など寄せつけないような濁流の光景とのそのギャップの大きさに、罪悪感にも似た軽い心の疼(うず)きさえ覚えて、激しい流れの川面を見つめていた。


 堤防の横に広がる河川敷に、つながりトンボが1つ2つと飛んでいる。それにしても、トンボの数はこの何十年かで目に見えて減った。アキアカネなどの赤トンボには、めったにお目にかかれない感じだから、お願いだから、空いっぱいにトンボの群れが飛び交う、昔日のあの光景をもう一度見てみたいと祈った。草むらからはエンマコオロギの鳴く声が頻(しき)りだ。盆過ぎの早い時期には、リリリリリ…と元気のいい鳴き声だが、9月半ばにもなると、ヒヨヒヨヒヨ…と弱々しい声に聞こえてくるのは気のせいか。ああ、メスにまだ出会えない内に寒くなって弱々しくなってきたのか、などと変な同情をしている。生まれて生きて子供を作って、子孫に生命(種)を引き継いで死んでゆく…そのシンプルさが、生きるものの本来の姿なのだろうと思うと、少し気が軽くなった。


 ごく一握りの者が、多くの人々の生命と利益を独占しつつある、そんな無残な現実が進行していると警告する研究者やジャーナリストが増えてきた。欧米やそして日本でもその流れにあるという。一部の富める者が、政治もマスコミもカネで買い、力のない庶民を都合よく“飼育”する世の中だ。世界で、日本で、本当は何が起こっているのか、テレビ、新聞、雑誌、これほどに情報があふれているのに、本当のことは何一つ知らされない…。上流の被災を物語る濁流の石狩川を見ていて、そんなことも頭をよぎった。


 生命の摂理(せつり)に従って、シンプルに生きる術(すべ)さえ奪われ始めているのかも知れない。


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