2017年06月09日号

夏の始まり


 「ガンジャの花が今年は当たり年だ。いっぺ(いっぱい)花が出て見事だ。藤の花も盛りだ」…秋田の山間に暮らす兄から、そんな山の様子を知らせる電話が入った。


 「ガンジャ」というのは「タニウツギ(谷空木)」の秋田あたりの呼び名で、うす桃色のろうと状のたくさんの花が、手毬(てまり)のようにまとまって、枝をおおうほどに咲き乱れる。ところが、その花の美しさとは裏腹に、幹や枝は軽く弱く、見た目も野ざらしの骨のような不気味な感じがして、あまり喜ばれる花ではなかった記憶がある。所によっては葬儀など忌事(いみごと)にも関係し、「ダミバナ」と呼ばれたり、火が付きやすいためか「カジバナ」と呼ぶ例もあるとかで、縁起の悪い木というイメージが確かにあったようだ。


 藤の花の優美なたたずまいは、思わずほうっとため息が出るほどだった。それが、枝々をおおうように伸びたツタから滝を流れ落ちる水のように、木の上から下へ幾重にも段を重ねて紫の花房を垂れる。激しい情感を秘めるかのような雅(みやび)やかさ…そんな花景色が、子供の頃の記憶として眼の底に焼き付いている。


 とはいっても、自然のものは子供たちにとって格好の遊びの材料になってしまう。優美な花姿の藤も例外ではなく、ツタからぽきんと葉の茎を折り取って飛ばしてみたり、少し生意気になってくると、ツタを切り取り、叩(たた)いて繊維を柔らかくほぐし、それを細い縄に撚(よ)って弓の弦にするなどの細工を覚えた。それがまた日々の生活の技術習得になるのだった。


 緑が濃くなり始めた中に、藤の花房の紫と、タニウツギのピンクが山のあちこちにちりばめられて、東北はそろそろ梅雨入りの季節。夏の始まりだ。それだからか、子供の頃のタニウツギと藤の花の記憶は、黄緑色の小さなアマガエルと、カタツムリに直結している。その小さな生き物がひっそりと生きている様子を、やはり息をひそめてじっと見つめている自分がいて、記憶の中ではしとしと雨が降っている…。


 おそらく、何千年何万年の昔から、われわれの祖先は、毎年のように同じ情景を見ながら生きてきたのだと思う。縄文の昔から続いた夏の始まりの情景…電話をくれた兄の暮らす集落は、今で言う「限界集落」の代表的な存在だ。集落ができて何百年か何千年かは知らないけれど、後を引き継ぐ者が集落にはもういないことだけは事実だ。“進歩”しているはずの世の中で、なぜ営々と続いてきた村が消滅してしまわなければならないのか…わかるつもりでいたのだが、よくわからない…。


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