2017年09月22日号

昭和30年代


 ♪銭のないやつぁ俺んとこへ来い 俺もないけど心配すんな…大丈夫かなあ、なんて思っていると、♪見ろよ青い空、白い雲…なんて美しい情景を見せてホッとさせ(ちなみに2番は♪見ろよ波の果て、水平線/3番は♪見ろよ燃えている、茜雲)、♪そのうちなんとかなるだろう……とガクッと落とす何だか笑ってだまされている感じがあった。昭和30年代からの高度成長期のシンボルともいえそうな植木等(ハナ肇とクレージーキャッツ)の「だまって俺について来い」という、東京都知事もつとめた放送作家の青島幸男が作詞した歌だ。


 戦後のベビーブームは、戦争の記憶の申し子でもある、復員兵の子供たちが中心で、その世代が多感な少年時代を生きたのが昭和30年代だった。町に出ると、東北の片隅の小さな町でも道端に座る白い病衣姿の傷痍(しょうい)軍人がハーモニカやアコーディオンで軍歌を鳴らしていたりする、まだそんな時代だった(都市部や祭りの縁日では昭和50年代にもその姿が見られたという。ただ、軍歌はラジカセから流れていたとか…)。貧しいのが当たり前で、でも、どん底まで突き落とされて這(は)い上がるしかない者の、どこか開き直った力強さと、ぎりぎりの希望が誰にもあった。そして、苦しいからこそ人の道、道理に合ったものの考え方や生き方を大切にしていたような気がする。だから、子供心に、どこかで大人たちを信頼することができた…。


 ♪ちょいと一杯のつもりで飲んで、いつの間にやらハシゴ酒…やはり青島幸男の作詞した「スーダラ節」にちなむ面白い話が伝わっている。植木等はそのイメージとは正反対の真面目な性格で、ふざけた感じの歌に真剣に悩み、僧侶だった父親に相談すると「この歌詞は親鸞聖人の教えそのものだ。親鸞さまは90歳まで生きられて、あれをやっちゃいけない、これをやっちゃいけない、そういうことを最後までみんなやっちゃった。人類が生きている限り、このわかっちゃいるけどやめられないという生活はなくならない。そういうものを人類の真理というんだ。がんばってこい」と諭(さと)され、植木が歌手として生きていく上での生涯の支えになった…というエピソード(談話一部インターネット「ウィキペディア」)。


 今、その“昭和30年代ブーム”が続いているのだという。♪見ろよ青い空、白い雲…そのうちなんとかなるだろう…。


コードギアス反逆のルルーシュ

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