2017年09月29日号

詩情の季節


 山ひとつ、峠を越えると大きな川が流れていた。その川に沿って北国へのびる鉄道が走っている。秋になると、汽車の音が、時にボーっと長く尾を引く汽笛やゴーゴーと鉄橋を渡る反響音を交えて、山ひとつ越えてなぜかはっきり聞こえてくるのだった。どこか哀愁を帯びたその汽車の音は、山の村の子供にとって、遠い未来と見たことのない都会につながる“音の詩”だった気がする。


 秋という季節には詩が良く似合うとやはり思う。「ふるさとは遠きにありて思ふものそして悲しくうたふもの」(室生犀星「小景異情」)…「秋の日のヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し。」(P・ヴェルレーヌ「落葉」/上田敏訳)…「ああ、季節よ、城よ、無疵(むきず)なこころが何処にある。」(A・ランボー「地獄の季節」/小林秀雄訳)――うろ覚えのそんな詩のひとかけらに、どれだけ心を慰められたか…。


 「母が子供の頃、家が貧乏でパンの耳で食いつなぐほどだったのに、祖母は、祖父のバイオリンを聴くのが好きで、どんなに貧乏してもバイオリンだけは手放さなかった。その話が好きで、孫の自分の生きる誇りにもなっている」――こんな話をしてくれた女性がいた。その話の情景が一編の詩となって、女性の瞳の中にきっと宿っているに違いないと思った。


 「夕ぐれの時はよい時。かぎりなくやさしいひと時。…」(堀口大学)。今日もまた、日が暮れていく…。


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