2017年10月06日号

秋の日と父と


 俗に親離れというけれど、散歩人が父親を一個の人間として初めて認識したのは、中学3年の秋だったと思う。もう日も落ちた山の田んぼに親子2人、刈り取った稲を自然乾燥するための「ほにょ」掛けという作業をしていたのだが、何の話をしていたのかは忘れてしまったけれども、ふと見上げたら、月に照らされて父の目に涙が光っている。不思議なもので、その時に「ああ、父さんも生身の人間だ」、そうはっきりと感じた(2007年7月13日号)――。


 10年前の散歩道にこんなことを書いていた。母親の時は、なぜか唐突に「母には女としての人生もある…」と、妙にストンと納得してしまった思い出なのだが、理屈も何もない。そう思ってしまったところから、自分というものは親離れしたのだと、今でも鮮烈な記憶となって残っている。父の苦しさ…母の悲しみ…人のどうしようもない弱さもろさ…そんなのを、この思春期の一時期を境に、理屈抜きに感じるようになっていった気がする。


 満州から復員した父は通信兵だったという。たまに戦争の話をした。アンテナ線を張り巡らすのに敵の銃弾の中を駆けずり回ったこと、ひと抱えもある大きな真空管のこと、復員する時の様子。~ここはお国を何百里 離れて遠き満州の…「戦友」という軍歌を、時々口ずさんだ。その父が、実は夢にうなされるほど、戦場での記憶に苦しめられていたことを母親から聞いたのは、死んでからだった。杭(くい)にくくりつけた“敵”を銃剣で幾度も突く。生きた人間の肉を突き刺す感触は、時に生々しくよみがえり、父を責め立てた…。


 子供が大きくなると父は政治の話もするようになった。「アメリカは日本人を腑抜(ふぬ)けにしようとしている。戦に負けるということは悔しいことだ」が口癖だった。アメリカの庇護(ひご)の元に築かれてきた日本の“平和”は、本物なのか。日本人に本当に主権は戻っているのか。戦後70余年、腑抜けにされたかどうかはともかく、国本来のあり方などそっちのけで混乱する政・官界にため息を吐く人は多い。父が生きていたら何て言うだろう。秋になると、不思議に父のことを思い出す…。


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