2017年11月24日号

言葉と、意見と…


 インターネットには、「死ね」などという人の尊厳を根こそぎ否定するおぞましい言葉が飛び交っていて、匿名で自由に意見を書き込める「掲示板」や、「ツイッター」などを見るたびに嫌な思いをする。人を傷つけるような野卑な言葉が氾濫(はんらん)するのは、匿名で書き込めるからではないかと思っている。こういうのは人と向き合ってものが言えない、陰湿な陰口と同じで、こそこそと卑怯者がやることだった。それがネット上からあふれて、一般社会にも流れ出した感じがする。一対一の人間同士の“争い”から価値観が違う人を“排除”する陰険な性格を強めて、子供たちだけでなく、いい年をした大人たちでも増えている「いじめ」と、ネット上の言葉の問題は同じ根っこを持っているような気がして、言い知れぬ暗い気持ちになってしまう。なぜ、こんな低劣な卑怯者がはびこる世の中になってしまったのか…。


 日本維新の会の足立康史衆議院議員が、加計学園についての報道や社説に対し「朝日新聞、死ね」と自身のツイッターに書き込んだり、国会で他の国会議員を犯罪者呼ばわりして、衆院で懲罰動議が出されるなど反感を買っている。ここ何年かの国会議員のあまりに下品で乱暴な言葉づかいは、国会のレベルの低下を見せつけられている感じがして、見ていてうんざりしてしまう。


 日本の政治の枠組みは=国会(立法府)、内閣(行政府)、最高裁(司法府)の三権が互いにチェックし合う「三権分立」の体制=のはずだった。「立法府の長」だと大間違いの答弁をした安倍晋三首相は「行政府の長」であって、その内閣は本来は、国会などにチェックされる立場にある。それがいつの間にか機能しなくなって、首相はじめ大臣や役人は、国会議員の質問に平気で虚偽(うそ)の答弁をしたり、はぐらかしたり、問題をスリ替えたり、記憶にないとうそぶいたりするようになった。


 国民を代表するはずなのに「首相は僕の上司」と無自覚にしゃべって顰蹙(ひんしゅく)を買った恥かしい道産子議員がいた。何とかチルドレンじゃないけれど、議員の顔ぶれは少しずつ、自分の意見を持たない「イエスマン」が増えて行って、国会の威信が急速に薄れている。それは、国会のチェックを気にしないで、日本という国を(米国とともに)思うがままに支配したい一部官僚や経済界にとっては、一番望ましい形になる。民主主義の顔をした「独裁」だ…。


SMAP CD

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