2018年01月01日号

お正月…子供たちの未来へ


 ♪もういくつねると…と、年の暮れも半ばを過ぎれば子供たちは無邪気に歌い出した…。昭和30年代、秋田の山奥の集落でケーキなどという高価なものには縁がなかったけど、大人たちは10キロも離れた町へ、オモチャだのをこっそり買いに行って、そっとわが子の枕元に置いた。敗戦後まだ十数年、「神国日本」の教えをたたき込まれたはずの大人たちが、貧乏百姓の生活の中でどの家でも、子供たちが喜ぶ、わが子にみじめな思いをさせたくないというただそれだけの思いで、何の迷いもなく異教のサンタクロースになったのだった。そして、そのささやかな行事が過ぎれば、正月を待つだけになる…。


 「お正月」という歌は、滝廉太郎の作曲、そして、子供の言葉による子供が喜ぶ童謡をと、日本で初めて口語による作詞を志(こころざ)し、「鳩ぽっぽ」の歌詞を作った東(ひがし)くめという女性の作詞で、1900(明治33)年の唱歌だという。♪お正月には凧あげて こまをまわして遊びましょう(2番は♪お正月にはまりついて おいばねついて遊びましょう)……と歌うのに、外は雪の山に吹雪きで、凧揚(たこあ)げは厳しく、羽根つきなどという上品な遊びも見たことがなかったけど、♪早くこいこいお正月……と指折り数えた。農家だから「現金」はなくとも米はある。きな粉にする大豆も餡子(あんこ)にする小豆もある。モチをつき、鶏をつぶし、そばを打って、大晦日と正月の特別の膳を囲む…。どこに出掛けるわけでもないのに、いつもと違う晴れ晴れしい気持ちになってうきうきするのだった。


 男盛りの父たちは、“血の記憶”を握りしめたまま戦地から帰ってきた。戦(いくさ)の話は誰もがあまり触れたがらなかった気がする。ところが、よく怒ったり、乱暴で粗野に見える大人たちでも、子供たちには優しい目になった。今考えれば、何て素敵な大人たちだったろうと思う。そして、痛切に思うのだ。われわれ現代の大人たちは、子供たちの未来を本当に考えて生きているだろうか…。


 本年もまんまる新聞をよろしくお願いします。
――スタッフ一同――


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