2018年01月19日号

野口英世の母


 今は千円札の肖像を思い浮かべる人が多いかもしれないが、昔は偉人の伝記といえば、必ずといっていいほど野口英世の本が並んだ。いろりに転んで手に火傷を負い、「てんぼう」とからかわれた清作、後の野口英世が、母シカの大きな愛の中で努力を重ね、やがて世界的な医学者になる物語に、子供たちは感動し力を貰った…。


 週刊誌のサンデー毎日(2017年12月24日号)で歌人の田中章義氏がさまざまな歌を紹介するエッセイ「歌鏡」に、母シカの最期の様子を、異国で研究に勤(いそ)しむ英世に伝える歌が掲載されていた。――外(と)つ国の愛子(まなご)の功(いさお)うちききて 笑顔の中に世を終りぬる――外国にいる我が子の功績を聞いて、微笑みながら最期を迎えた…目頭が熱くなるような、そんな挽歌で、詠(よ)んだのは、野口清作の才能を見い出した、小林栄という猪苗代高等小学校時代の恩師。進学資金など物心両面で野口母子を支えて終生「恩人」と感謝された教育者だという。


 エッセイによると、野口シカは1853(嘉永6)年に農家の娘として生まれ、祖母と2人で肩を寄せ合って生きていたが、病気がちだった祖母のために生活費や薬代を稼ごうと、7歳で自ら働きに出る。結婚をし、子供を授かったものの、酒におぼれる夫の代わりに、往復数十キロにも及ぶ距離を、商家の重い荷物を担いで生計を立てた。子供を寝かせた後、夜更けに猪苗代湖などで川エビなどを捕り、売り歩くこともしていた。英世はそんな母の姿を見ながら育った…。


 シカは苦労の末、後に国家試験に合格して産婆となり、土地の人々から慕われたという。2018年は野口シカ没後100年を数える。


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