2018年04月13日号

厚別から…青春の軌跡


 今年1月、多摩川に入水して亡くなった西部邁(にしべすすむ/当時78歳)さんは、元東京大学教授の経済学者というよりも、“保守的”とされる立場から熱のこもった発言を続けた評論家として知られた。その西部さんが少年時代を過ごした地が厚別だった。4歳の時、生まれた長万部から白石村字厚別(現在の厚別区)に移り住んだという。厚別の西部家は、12号線沿いの真宗大谷派「智徳寺」敷地内にあった。現在、同寺の住職をつとめる四衢信(よつつじまこと)さんによれば「当時の住職は西部さんという方でしたが、その親類の方の家で、西部邁さんがここから学校に通った話は聞いています」という。家の前には果樹園が広がり、智徳寺の隣りの大行寺の墓地はそのまま深い原生林につながっていた…そんな西部邁さんの思い出話が伝わっている。そこから信濃小学校に通い、厚別駅から山鼻の柏中学校、そして、札幌南高校に汽車通学した…。

※訂正:現在、同寺の住職をつとめる四衢信(よつつじまこと)さんによれば「当時の住職は西部さんという方で…」――の中、当時の住職は「西部さん」とあるのは、「多田さん」の間違いでした。訂正します。当時の住職の多田幸順さんの奥さんが西部家から嫁いだ方だそうです。


 この当時、柏中学に白石駅から通学したのが、昭和史の実証研究で知られるノンフィクション作家で評論家の保阪正康さん(78歳)。西部さんより1学年下だったという。保阪さんは昨年、北海道新聞のインタビューの連載「私の中の歴史~昭和史からの教訓~」(2017年7~8月)で、こんな思い出を語っている。――毎日の通学時の付き合いで、秀才で知られた西部兄弟と出会いました。同じ柏中学に越境入学していた弟の邁さんは僕より学年が一つ上で、のちに東大教授、評論家として活躍します。彼からはいろんなことを教えてもらいました。――4年前、僕の妻が亡くなったとき、西部さんからファックスが届きました。「保阪君、気を落とすな」そんな内容の温かい文面に僕は思わず涙しました=中略=テレビなどで見る西部さんはこわおもてでどこか攻撃的です。保守派の論客ですが、しかし、その素顔は優しく、情にもろいんです。彼が嫌いなのは権威主義で、権威主義に対しては本当によく抵抗します――中学時代の越境通学で西部さんと知り合ったことが最大の財産だったと今も思っています――(2017年7月27日道新夕刊)。


 保阪正康さんは母方が江別市の屯田兵の家系で、札幌で生まれて間もなく江別市に住む。――(数学の教師だった)父は戦前は札幌、深川や江別などで教壇に立ちました――(7月25日同連載)。その転任の関係で、八雲で小学生時代を過ごし、札幌の柏中学への進学時に、母親の実家があった白石に移ったという。そして、西部邁と出会うことになる…。


 厚別駅、そして白石駅から札幌に続く線路は、現代日本を代表する2人の知識人の青春の軌跡を刻んだ鉄路でもあった。


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