2018年08月24日号

向き合う時


 7月17日未明、浜田知明(ちめい/本名はともあき)という版画家が亡くなった。棟方志功らと並び、日本を代表する版画家の一人にかぞえられる人で、100歳だったという。1917(大正6)年生まれ。現在の東京藝術大学油画科を卒業と同時に召集され、中国戦線に歩兵として送られた。復員後、浜田知明が版画家として注目されたのは1951(昭和26年)の「初年兵哀歌」シリーズから。国際的に高く評価され数々の賞を受けた。


 NHKの美術番組「日曜美術館」(2013年8月4日放送)でその作品を初めて見て、言い知れぬショックを受けた。――一度見たら忘れられない絵がある。みずからののど元に銃口を突きつけ、今まさに足で引き金を引こうとしている若い兵士。骸骨のような目から涙がこぼれ落ちる〈作品名「初年兵哀歌(歩哨)」〉(同番組ホームページより)――。裸の女性の腹部が腐敗して膨(ふく)れ上がり、陰部に棒切れが突き刺されたままになっている〈「初年兵哀歌(風景)」〉…作品もある。中国戦線に送られた版画家が、戦後、絞り出すようにして描いたという銅版画「初年兵哀歌」シリーズが次々と映し出された。――串刺しの死体、ごうかんされた裸体、目を覆う戦場での情景が展開する(同)――。


 戦争の歴史を研究する作家で評論家の保阪正康氏の最新刊「戦場体験者~沈黙の記録~」では、実際に戦場で命をさらした多くの兵士が、復員しても記憶を心の内に押し込んで、「無言」を通さざるを得なかった、戦後のさまざまな現実を、膨大な聞き取り調査から明らかにしている。戦場での加害の行為に対する自責の念はもとより、言うに言えない理由は山のようにあり、復員兵を“死ぬまで”苦しめた。今思えば、父親をはじめ、心の中に苦しみを抱えた、そういう大人たちが、身のまわりにずいぶんいたような気がする。ある意味封じられてきた一般の兵士の戦場の体験証言が、本などにまとめられて世に出始めるのは2000(平成12)年頃になってからだったという。戦後73年から見れば最近のことといえる。


 散歩人は秋田県北部の生まれなのだが、子供の頃の記憶に“強制徴用”された朝鮮人にふれる大人たちの会話がおぼろげに残っている。花岡、小坂、尾去沢…ほか、多くの鉱山での強制労働の実態があり、逃げ出したものを狩り殺した企業や官憲によるおぞましい話なども多く聞いた。北海道では炭鉱での強制労働という歴史がある。さらに、最近になって、満州に入った開拓団が敗戦直後に遭遇した“悲劇”の数々も語られ出している。戦争というものの過酷な仕打ちに翻弄(ほんろう)された“民草”が、ある者は命を終え、ある者は高齢の身で心の奥にしまっていた真実を語り出した。そういう時を迎えているのではないか。


 被害…そして、加害…。今こそ、それらと、偽りなく、真正面に向き合う時が来たような気がする…。


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