散歩道 6月7日号掲載 道端の小さな宇宙

初夏、田植えが終わると「早苗饗(さなぶり)」という祝い事がある。田植えが無事終るのを見届けた田の神を祀(まつ)る風習で、田植えを終えて安堵(あんど)した村人たちはいっ時の「さなぶり休み」に入る。やがて、しっかり根付いて背を伸ばし始めた早苗の列を、青葉の香りをたたえた初夏の風がザッと揺らして渡る頃…▼別に梅雨(つゆ)どきを楽しみにしていたわけではないが、その鬱陶(うっとう)しいはずの雨模様が不思議に懐かしい記憶になって残っている。昔はマタギが行き交(か)ったという東北の山深い村に生まれ育ったから、里の学校に通学するにも、前の年の落ち葉が朽ちて敷かれているような山道を歩くのだった。雨が小止みになって折り重なる山の間の空が明るくなる、そんな時、米粒ほどの小さなでんでん虫(カタツムリ)やら2、3センチの大きなでんでん虫が葉っぱの上を歩き出す。2本のツノに触るとサッと引っ込める。そんな遊びをしながら目を移すと、親指の先ほどの緑色をした小さな雨蛙が、葉っぱの上に行儀良く座っている▼木々や草々のムッとしたにおいが立ち込める。小さな松かさの形をした草のぼんぼりをいっぱいつけたツタが藪(やぶ)をおおって、青臭い鮮烈な香りを放っている。後に調べたら唐花草というツタ草だったが、その“草”が実はビールの原料になるホップの一種だと知ったのは、中年になってからだった。ちょっとかび臭さが混じる土のニオイ、木や草の青臭いような甘酸っぱいようなニオイ、そして、若葉の色や枯葉の色を映し出してふっくらと甘い雨の匂い…。バラいちご(木いちご)の白い花が雨に濡れて咲いている。もう少しすれば実をつける▼山の中の道端の、ほんの小さな草むらの中の、梅雨どきの些細(ささい)な子供のひとり遊びの記憶。いま思えば、大きな大きな生命の宇宙にいたのだと思う。それにしても、子供の頃の記憶というものはかほどに心に残るものなのか…。あの雨の匂いが時折りよみがえったりする。