散歩道 7月12日号掲載

女性スタッフが「そこに鹿がいた」と興奮した様子で帰ってきた。厚別の街なか、野津幌川の上を函館本線が通るあたりの河原の茂み。「親子らしいのが3頭いて、線路を飛び越えて行った」と言う。いずれ、河原づたいに人里へ出て来てしまったのかも知れないが、最近はどうも様子が変わっている気がする。というのも、あいの里の市街地で知人の車が鹿にぶつかって大破してしまったのは昨年のことだし、街なかで鹿に出会ったり車にぶつかる話は、そう珍しい話ではなくなっている▼そういえば、6月半ばの朝、自宅近くの道を痩(や)せた感じの茶色の犬がうろうろしている、と思ってよく見たら、どうもキツネだった。夜中はともかく、明るい日差しが降りそそぐ朝の9時ごろにキタキツネが物怖じせずに堂々と街なかをうろつくのは、何だか不気味な気がする。聞いたら、朝方はゴミ箱を漁(あさ)るキツネが珍しくなくなったという。野生の動物が人間がいる環境に慣れ、人を恐れなくなってきている…そんな感じなのだ。逆に、本当の「自然」というものと縁遠くなってしまった人間は、ペットとしての犬や猫や小動物とは違う得体の知れない動物に“恐怖感”を持つようになってきているのではないか▼少し残酷な話になるが…。散歩人がまだ小さい頃、祖父が、生まれた子猫を袋に入れてミュウミュウ鳴くその上に大きな臼(うす)を転がして殺した、その光景が脳裏に焼き付いている。ネズミを獲る猫が家々にいるのは当たり前で生まれた子猫は村中誰もいらない。捨てろといわれ、子供たちは、生まれるたびに泣く泣く袋に入れて川に投げ入れていた。しかし、野生化して山猫になる、中途半端なことはするなと祖父は厳しく咎(とが)めたのだった。ともかく、それだけ動物と人の住む境界を峻別(しゅんべつ)する意識が徹底していたのは間違いない▼クマ騒動が続く野幌森林公園。関係者が「本当に困りました」と憔悴(しょうすい)し切った表情でつぶやいた。若熊が各地で出没するニュースが増えている。クマだけでなく野生動物と人間の暮らすテリトリーが重なってきている感じを受ける。「野生」とどう共生するか…真正面から向き合うしかない緊急の課題になっている。