散歩道 11月1日号掲載

今年春、あるニュースサイトが「回転寿司、レーンの寿司を取る?取らない?」を調査したところ、7割以上が取らない“注文派”だったという。「回っているのは見本ですから、注文してください」と店員に言われたことがある。結局回っている寿司は廃棄される。膨大な量の食べ物を平気で捨てる企業のその神経が嫌で、“回る寿司”にはほとんど行かなくなった。最近はタッチパネルで注文した品が高速レーンで届く「走る寿司」が増加中で、“廃棄”は減少しつつあるといわれるが、「食品ロス」問題はいぜん深刻だ▼農学者の渡部忠世京大名誉教授が、昔の日本人は「米食民族」ではなく「米食悲願民族」だったと指摘している。日本の庶民が米だけのご飯を主食として腹一杯食べられるようになったのは、1960年代の高度経済成長以降のことで、それまでは雑穀や麦、芋、豆を混ぜたご飯が当たり前だったという▼大正7、8年ごろに聞いた話として、(どこそこの誰々さんは)「米の音を聞いて死んだそうだ、仕合に」(原文ママ)と丹沢の鳥屋村(神奈川県)辺りの老人が言っていたと、昭和11年発行の民俗学雑誌「旅と伝説」(1月号)で報告されている。「ふり米」というのだそうだ。竹筒の中に白米を入れて、その音を聞いて米の味を想う…。「ふり米の音を聞いて死にたい」と最期にせがまれたりする。近年まで、それが“瑞穂(みずほ)の国”の実態だった…。